テイコク

岐阜県 調査・設計・管理・測量・開発のテイコク

WWW を検索 サイト内を検索
google
HOME > TEIKOKUコラム一覧 > 私のライフワーク

ゆずり葉  岐阜大学 理事・副学長 八嶋 厚先生

岐阜大学 理事・副学長 八嶋 厚先生

大学人にとって、春は卒業と進学の季節です。卒業式において式辞にしばしば取り上げられるのが、河井酔茗の「ゆずり葉」という詩です。
ゆずり葉は、常緑樹でありながら、春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することから名付けられています。詩の全文を紹介すると、


「子供たちよ
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉ができると
入り代わって古い葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずってー

子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。

かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどー。

世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。

今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。

そしたら子供たちよ
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう。」

私たちは、次の世代に素晴らしい社会を引き継ぐために、自らの生命の火を燃やし続けなければなりません。
この詩を読むたびに、数年前に卒業生に贈った司馬遼太郎の「21世に生きる君たち」という本を思い出します。本の中で司馬遼太郎は、21世紀を生きる若者たちが向かっていく世の中には、未知のもの、予測不可能とも言うべき困難が待ち受けている。様々な環境問題も、地球規模で進行しており、これらの課題を乗り越えることが、若者に課せられた責務となると述べています。しかし、若者に期待しながら、人類の英知を賭ける闘いではあるが、その難題をクリアできると、エールを送っています。
ゆずり葉の詩にあるように、若者たちには明るい未来があることでしょう。しかしながら、それを実現するためには、人類の英知を賭けた戦いに勝ち抜かなければなりません。地球上の自然、人類が構築してきた文明、それらを次の世代に引き継ぐ主人公は、世界中の一人一人です。しかし、それを牽引するエンジンの重要なパーツの1つは、建設コンサルタントであるということに疑いの余地はありません。
建設コンサルタントは、サステナブルな社会を実現するために、「したいからやった」でも「しなくちゃならないからやった」でもなく、「すべきだと考えたからやった」、つまり自律的で責任を伴う道徳的なモチベーションを自らで生み出して行動し、しかもその行動に責任を取ることができる人であるべきです。カントの言う自律概念そのものです。また、道元の「梅早春開」という言葉を連想させます。春がきたから梅が開くのではない、梅が早春を開くのである。人生を開く主人公は外の誰でもない、この私であると言うことを忘れてはならないと説いています。「梅は早春に開く」のではなく、「梅は早春を開く」のです。建設コンサルタントの皆さん、自主自律の精神をもって、自らが主人公としてご活躍下さい。
最後に、次の詩をお送りします。

「僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため」

高村光太郎「道程」より。

ゆずり葉
ゆずり葉
ゆずり葉
ゆずり葉